心に残った言葉を綴っておこうかと思います。


No.14

 

・気がつかないだけで世界は美しいよ。

世界は美しいって映画を作るんだよね。

 

                    by宮崎駿監督

 

私もカメラを持つことによって「世界は美しい。」ということに気がついた一人。

でも写真は絶対に「見たままを見たままに」描いてはくれない。だから私は「写真でしか見えない世界」を追いかけている。世界は美しいって写真を撮りたい。 


No.13

 

・ルール

カメラマンは一人一人がそれぞれのルールを持っている。だから「私はこうだ。」「いや、私はこうだ。」とぶつかり合う事は当然のこと。 

ただ、自分に合わないルールを頭ごなしにただ否定をしているだけでは自分自身のプラスにはならない。

まずどんなことでも一度自分の中に入れ・・・良いものは吸収し、合わないものは分けておく。この時「合わないもの」も捨ててしまうのではなく手の届く所に置いておくといい。いつかそれが理解できたり自分の役に立つ時もくるかもしれないから。

それくらい貪欲にどんなことでも自分の写真の為に吸収していくことで「自分だけのルール」は作られる。 


No.12

 

・漫画 

小さな頃から漫画が大好きで大好きで、時には憧れて絵を描いたり話を考えたりする事もあった。けれど、自分の想像力では自分の想像出来る範囲でしかストーリーを考えられない事に気づいた。そう、私が大好きな漫画は全てストーリーが「私の想像の外からやってくる。」

だから驚くし感動するし憧れるのだと。

 

そして、マクロで初めて菜の花を撮った時、側溝に片足を突っ込んでつくしを撮った時、今まで見たことのない映像が「私の想像の外からやってきた。」

それが私の写真の原点。

 

囁くんだよ・・・私のゴーストが写真を撮れと。 


No.11

 

・私は実はものすごい「めんどくさがり」です。

カメラを始めた頃も今も、変わらず・・・。

 

朝とか夜中に起きて出掛けるのもめんどくさい。

何時間も車を運転するのもめんどくさい。

車から現場まで歩くのもめんどくさい。

三脚を持っていくのもめんどくさい。

車に置いてきてしまった広角レンズを取ってくるのもめんどくさい。

もう数cm動けば良くなると分かっているけど三脚&カメラを動かすのもめんどくさい。

雨の中の撮影もめんどくさい。

RAWデータを後から現像するのもめんどくさい。

パソコンも分からないことだらけでめんどくさい。

Photoshopは覚えることが多すぎてめんどくさい。

ちょっと思っていたのと違った色で出てきた写真をプリントし直すのもめんどくさい。

写真のタイトルを考えるのもめんどくさい。

 

でも、その「めんどくさい」を気付かないうちに超えられるのが「情熱」なのかもしれない。 


No.10

 

・努力せずに何かできるようになる人のことを「天才」というのなら、僕はそうじゃない。

 努力した結果、何かができるようになる人のことを「天才」というのなら、僕はそうだと思う。

人が僕のことを、努力もせずに打てるんだと思うなら、それは間違いです。

 

・夢を掴むことというのは一気には出来ません。小さなことを積み重ねることでいつの日か信じられないような力を出せるようになっていきます。

 

・しっかりと準備もしていないのに、目標を語る資格はない。

 

・夢は近づくと目標に変わる。 

 

・自分の思ったことをやりつづける事に後悔はありません。それでもし失敗しても後悔は絶対に無いはずですから。 

 

by イチロー選手


No.9

 

・「努力は人を裏切る」。 

努力したって成功するなんて保証は何もない。むしろ失敗する可能性のほうがはるかに高い。水木先生はそう言い切る。 

じゃあ努力なんて無駄じゃないか!とはならない。好きの力を信じ、しないではいられないことをし続けていれば、努力すら楽しい。努力そのものが喜びに満ちている。

 

                   -「水木さんの幸福論」記事一部抜粋-

 

結局、死んでしまってどんなに積んだ経験も技術もなくなってしまうなら「じゃあ生きてるのなんて無駄じゃないか!」とはならない。ですよね。 

結果をだすことや結果そのものに意味があるのではなく、その過程をどれだけ楽しんでいけるかが大事なんだ。 


No.8

 

・カメラは記録という意味で言ってしまえば「目で見たものを、動きもなく、音もなく、匂いもなく、限られた狭い空間をどこかで区切り三次元を二次元(平面)に劣化させてメモリーさせる装置」

しかし逆に言えば「平面で世界を区切り、音も香りも伝えず、永遠に時を止める」これら全てに意味が見いだせた時カメラはただの二次元ではなく「写真でしか表現できない世界を表すことが出来る唯一の装置」になる。 


No.7

 

・レタッチ(画像補正)はどこまでやっていいのか。 

デジタル写真を学んでいくと、レタッチは「どこまでやっていいのか。」という問題にぶつかりますよね。個人的には「いくらでもどこまでもやっていい。」「ただし、そのレタッチ一つ一つに意味があるなら。」と考えています。 

前者の部分がないと試行錯誤に膨らみが出ませんし、後者がなければ自分の写真にレタッチをする意味が出てきません。 


No.6

 

・「才能は物量で越えられる!!」

                                                   by 漫画家・羽海野チカ先生

 

・中学の頃から書き溜めているネタ帳123冊。 

・漫画の為の資料写真10万枚。 

・絵の練習を(人気連載抱えている)今でもやってる。ものすごくやってる。

 ・例えば、「3月のライオン」の零くんに一つ事件が起きて「どうする?」となった時に20個ぐらいエピソードが出てくる。(羽海野さんの場合)そこから試行錯誤して一番良いストーリーを選ぶのに一番時間がかかる。

 ・無限にある選択肢をひたすら切って、貼って、切って、貼って、切って、貼って血反吐を吐くほどの努力。

羽海野さん「ベストな状態で我が子を送り届けたいんじゃ(ゲッソリ)」 

・みんな◯◯さんみたいに「才能がないからできないんだ。」って思いがちだけど「才能は物量で越えられる!!」 

・編集◯島さん「あの人ができるのは天才だから。」「才能があるから。」そう思えば楽でしょうけどね。

担当T田さん「プロがこんだけやってんだ。お前らはそれ以上やらねぇと追いつけねぇぞ。」

「3月のライオン・おさらい読本 初級編」内「ニコ・ニコルソンのマンガ道場破り・羽海野編」より抜粋

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漫画家の「絵」然り、ギター奏者の「ギター」然り、歌手の「声」然り。まずは自分の持っているものを理解し自由自在に扱い最大限に表現の幅を広げる。

デジタルカメラはその為の練習や試行錯誤をそれほどお金をかけずに無限といえる程に撮影して身に付ける事が出来る。 

「上手い」だけの人はいくらでもいる。それを越えられるのは物量なのかもしれない。

その物量をこなすのは「苦痛」や「面倒」かもしれないが、それらを「楽しい」や「こだわり」に変えてくれるのが「夢中になる」という事なのではないだろうか。 


No.5

 

・「大事なことは大抵めんどくさい」 

                       by 宮崎 駿監督

  

確か、ドキュメンタリー番組の中で宮崎駿監督が仰っていた言葉。宮崎駿監督という人は、自分が納得のいくまで何度でもリテイク(やり直し)を出す。徹夜になっても、締め切りが迫ってきていても、自身の身体がボロボロでも。

「違う、人間の体はこう動くようには出来てない。」

 

「ほんの一瞬なんだから見てる人には分からないし、いいじゃん。」と誰もが考えるような細かい所にもこだわる。例えどんなに面倒で退屈な作業の繰り返しでも「それを大事に出来る事」それを「越えられる情熱」がある事。 

それが宮崎監督作品の「言葉では伝えることが出来ない感動。」に繋がっているのだと思う。

 

つまり「めんどくさいと感じることは大抵が大事なこと。」

実は、誰よりも自分自身が心の中で「それ」をしないよりはした方が良いと感じている。けれど「それ」をするのはめんどくさい。だから、めんどくさいと感じた時点で「それ」はとても大事なことだ。 


No.4

 

・デジタルの最大の恩恵はその「試行錯誤」の数。

1.撮ったその場で見られる。

2.沢山撮れる。

3.見比べることが容易。

4.いくつもの手法を試し、それらを並べて見比べる事も出来る。

5.「ダメだ」と感じたらその場ですぐにもう一度挑戦する事も出来る。

6.今までラボでやっていた作業を全て自分で出来る。

7.また、それらをありえない程に細かく全てのステータスを調節する事が出来る。

8.現場での試行錯誤をPC上での作業に活かし、PC上での試行錯誤を次の撮影現場で活かす。

 

良かった写真は「なぜ良く撮れたのか?」悪かった写真は「なぜ悪く撮れたのか?」

全ての写真に意味があり、試行錯誤することで必ず次に活きていく。


No.3

 

・「守破離」 

日本での茶道、武道、芸術等における師弟関係のあり方の一つ。日本において上記の文化が発展、進化してきた創造的な過程のベースとなっている思想でもある。

まずは師匠に言われたこと、型を「守る」ところから修行が始まる。その後、その型を自分と照らし合わせて研究することにより、自分に合った、より良いと思われる型をつくることにより既存の型を「破る」。

最終的には師匠の型、そして自分自身が造り出した型の上に立脚した個人は、自分自身と技についてよく理解しているため、型から自由になり、型から「離れ」て自在になることができる。

                            by Wikipedia

 

写真においてもこの「守破離」がとても重要。まずは基本を身に付けること。師事している先生の言われる事や本に書いてある事などを素直にとにかく自分でやってみること。

私自身この土台となる部分を亡き恩師に厳しくお教え頂けたのはとても幸運だった。

 

ただ、ふとした時から自分の中で「もっとこうした方が良いんじゃないか?」という疑問が湧いてくるように。でも、今まで覚えてきたこととは違う。そこで「教えられたとおりにだけやっていこう。」と捉えるか、「とにかくやってみるか。」と捉えるか。

 

私はそこで、さらに幸運なことにNo.2の米津先生の言葉に出会いました。

「やっちゃいけないことなんてない。」

 

あぁそうか、やってみて初めて分かるんだな。と。やっちゃいけないよ。と言われていることをやってみるとやはり痛い目をみる。それで初めて「あぁ、だからやっちゃいけないと教えてくれたのか。」と実証することが出来るのだ。

そしてそんな事を繰り返していると、時に「やっちゃいけないと言われていることの先にある新しい世界」に出会える。これが「破」

 

では「離」は何か・・・?

これは「自分らしさ」ではないだろうか。全ての動作や設定・行為に自分だけの意味を見いだせる事。

 

まだまだ私自身何一つ自由にならないこともありますが・・・ 


No.2

 

・「写真にやっちゃいけないことなんてない。」 

逆に、やっちゃいけないと言われるとやりたくなる(笑)例えば、露出補正を+4とか+5、-4とか-5にしても失敗写真になるのは目に見えている。でも、そこでシャッターを押してみるとその先に新しい世界が開かれる時があるんです。

                           by 米津 光先生

  

この言葉を聞いた時、私は本当にショックを受けました。と同時に私の撮ることが出来る世界が途方もなく広がっていくのを感じました。

ちょうど私に写真の基礎を厳しく教えて下さった恩師が亡くなってしまい・・・自分の写真を自分自身で模索しなければいけない時期でもありました。そこまで覚えてきた基本・定石・常識などなど「一般的にいって良い写真に仕上げるための手法」・・・これらをただ守るだけではなく、それらを破って見ることも大事なのだと気づかされました。

破ることで、なぜ守らなければいけないのかが実証出来ますし、自分の常識を破った先に新しい表現に出会えることがあるからです。 

それからはとにかく、自分の中での様々な行為や設定に「意味」を探り、試行錯誤するようになり・・・本当の意味での「正解」は自分の中にしかない事に気づかせて貰えました。


No.1

 

・全てのことに意味をこめる。

 

F値を5.6にしたのはなぜ?

露出補正を+1したのはなぜ?

その構図で切り取ったのはなぜ?

その白飛びに意味はある?

その黒つぶれに意味はある?

なんで三脚を使うの?

なんでそのレンズを使うの?

なんでしゃがんだの?

なぜそのようにトリミングするの?

そのレタッチをする意味はある?

どうして和紙を使うの?

どうしてその額を選んだの?

どうしてそのタイトルをつけたの?

 

なぜ・・・そこでシャッターを押したの?